こんにちは。ご訪問ありがとうございます。
「みんなと楽しく学ぶ」をモットーとする大学教員・酒井宏平と申します。

城西大学 現代政策学部で、政策学を担当しています。
僕は、絶対、大学教員になろうと、ある時期から思っていました。でも、そこに至るまでは、長い道のりでした。
ここでは僕の自己紹介と、僕の大学教育・研究に対する思いを伝えさせてください。
僕・酒井のこれまでの経歴を簡単に紹介
高校を卒業したとき、僕が合格していたのは海上自衛隊だけでした(大学全落ち・・・)
戦艦や戦闘機が好きだったので色々迷いましたが、北九州予備校という厳格な予備校に入学(月月火水木金金という毎日を過ごし大学進学へ)
京都の私立大学で充実した4年間の大学生活を送る(サークルとゼミが1番の思い出!)
新卒で入社した会社は、うつ病のため2年で退職(自分の能力の低さに失望・・・)
大学院へ戻るもうつ病再発(修士課程は1年留年・・・)
修士号取得後、働くことが怖かったので、博士課程へ進学(うつ病再々発で、かなりの苦労を。助けていただいたみなさんに本当に感謝です)
なんとか2017年に博士号を取得し大学に就職
名古屋工業大学→立命館大学→城西大学(今ここ)

すごく優しい学生たち・ゼミ生や、優秀な先生・職員さんに囲まれて、充実した日々を過ごしています。
僕・酒井の基本情報
1985年生まれ 福岡県北九州市出身
好きなもの
空旅、ディズニー、ホークス、動画編集(YouTube、インスタリールなど)
嫌いなもの
文字を読む、マルチタスク(同時に複数のことをやること)、論理的な話を聞く。

例えば、空港のチェックイン、検査場など、マルチタスクが多くて、すごく苦手です。
僕・酒井のつまずき人生を紹介!
僕・酒井は、人生でつまずいた数は誰にも負けないと思っています。
その1つを紹介します。
自信喪失した社会人時代
大学卒業後に就職した会社で、全く通用しなかったことは大きなショックでした。
毎日、生活をしているだけで、何1つ楽しいこともなく、仕事のことばかり考えて心落ち着くことができない。
なのに、仕事は全くできない役立たずな会社員でした。パフォーマンスは圧倒的に悪く、はっきり言えばわからないことだらけで、何をやっているのかもわかっていない毎日でした。
やがて、欠勤がちになり、うつ病と診断され、たったの2年で退職しました。
自分自身に大きく失望しました。大学生の頃に持っていた自信は全て消えてなくなっていました。
「僕の人生、このまま終わっていくのかな・・・」
24歳の僕に残されたのは、なんのスキルもない自分だけ・・・。
逃げるために大学院へ進学
社会人として通用しなかった僕が働ける場所があるわけない。だから、逃げるように大学院へ進学しました。目的なんてありません。
「大学院修士課程の2年間、なんとか生き延びよう」
ただ、それだけでした。
博士号を取って、大学教員になろう!なんて考えてもいません。
「2年あれば、なんとかなるんじゃないか?」
「この2年間で、宝くじが当たって、不労所得で暮らせるかもしれない」
そんな甘いことばかり考えていました。それくらいに、社会で働くことへの恐怖、自分がまた通用しなかったらどうしようという不安がありました。
できないことばかりの大学院時代
その後10年間くらい、うつ病と付き合うことになりました。
大学院在学中、何度も再発し、一度つまずくと簡単にそれが癖になり、立ち上がれない日々を過ごしました。
この時期、とにかくできないことが多くありました。
文字が書けない、何もひらめかない、歯磨きもできない、ご飯を作れない、発表ができない、論文が読めない、家から出られない、メールの返信ができない、布団から出られない、などなど・・・
結局、修士課程は1年留年しました。
その後、目的もないまま博士課程へ進みましたが、自信なんてものは、とうの昔になくなっているので、その自信を取り戻す方法もわかりません。立ち上がり方がわかりません。
「なんで、みんなはできてるのに、僕は今日も何もやってない・・・」
毎日、自己嫌悪ばかり・・・
うつ病の僕が見つけた2つの考え
そんな僕に対して、本当に多くの人方が助けてくれました。感謝しきれないほどの助けをもらいました。
大学時代の友達、大学の職員さん、研究室のメンバー、指導教員、家族、そして、妻。
最初は、夕方の人の少なくなった時間に、妻と一緒に、家の周りを散歩するということから始めるような状況でした。
夜、誰もいない研究室へ行って、おにぎりを食べるというような、通学練習みたいなこともしていました。
順調に回復していったわけではありません。
僕の場合、かなり激しい波があり、ハイテンションになっている時に、研究をガッツリやって、ローテンションになってる時はやっぱり引きこもりがちでした。その波も段々と抑えられるようになりました。
体調とうまく付き合えるようになった僕は、あることに気づきました。そして、それは2つあります。
- 「自分1人で、できなくてもいい」
- 「できないことがあったら、できることをいつか見つければいい」
このことに気づいたとき、僕は大学教員になろう!と決めました(日記によれば、2016年11月24日のことです)。

僕の経験や信念を、大学教育で生かしたい!そう思ったのです。
そもそも、全部できる必要はありませんし、みんなと同じようにできる必要もないのです。実際に、僕の場合、自分1人でできないとき、みんなが助けてくれました。
そして、できないなら、できることをやればいいだけです。
文章を書くのが苦手でも、絵を描くのは上手いかもしれません。歌がうまいかもしれません。
人と話すのが苦手でも、原稿を読むのは得意かもしれません。聞くのが上手なのかもしれません。
今すぐ、見つける必要はありません。大学で見つけましょう。
大学教員としての信念
他の大学教員と比べると、かなり違う道を歩んでここまで来ました。
そして、「自分1人で、できなくてもいい」、「できないことがあったら、できることをいつか見つければいい」ということに気づきました。
そのことに気づいた今、僕は今が人生で一番楽しいと感じています。
だからこそ、僕は「みんなで楽しく学ぶ」ことが大事だと思っています。
なぜなら!
- 1人でできることは、限られています。
- 他の人にはできなくて、あなたにしかできないことは、たくさんあります。
城西大学 現代政策学部の酒井と一緒に、あなたの限界に挑戦し、あなたの得意技を見つけませんか?
そして、みんながいるから、あなたも輝ける、「みんなで楽しく学ぶ」環境で一緒に学びませんか?
僕・酒井のSNS
SNSで情報発信もしています。

「いいね」と「登録」「フォロー」お願いします!
YouTube「酒井宏平のキャンパスライフ」
YouTubeで大学教員の日常を発信しています。登録といいねをお願いします。
最新ニュース
ブログという形でも、研究活動や大学の様子を発信しています。ぜひ読んでね!!